最高裁判所第一小法廷 平成元年(オ)759号 判決 1992年12月10日
上告人 奈良県信用保証協会
右代表者理事 九猪功
右訴訟代理人弁護士 高島三蔵 稲田克巳 吉井洋一
被上告人 吉岡伸幸
右訴訟代理人弁護士 太田稔
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人高島三蔵、同稲田克巳、同吉井洋一の上告理由について
一 本件は、被上告人が上告人に対し、本件土地の所有権に基づき、根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めるものである。原審が確定した事実関係の大要は、次のとおりである。
1 本件土地は、もと被上告人の祖父吉岡彦右衛門(以下「彦右衛門」という。)の所有に属していた。彦右衛門には、妻シズエ並びに長男吉岡成晃(以下「成晃」という。)及び二男吉岡泰四郎(以下「泰四郎」という。)外の子がおり、成晃には、妻節子(以下「節子」という。)並びに長男の被上告人及び長女優子がいた。彦右衛門が昭和五一年六月九日に、成晃が同年九月三日に、シズエが同五二年一月九日に相次いで死亡したため、泰四郎を中心にして彦右衛門らの遺産についての分割協議がされ、本件土地並びに彦右衛門の住居であった建物及びその敷地などを被上告人が取得し、賃貸中の集合住宅及びその敷地などを節子が取得することを内容とする協議が成立した。そして、泰四郎は、その後、節子の依頼を受けて、右協議に基づく各登記手続を代行し、節子が取得した右集合住宅の管理をするなど、諸事にわたり節子ら母子の面倒をみていた。
2 昭和五八年ないし同五九年当時、被上告人は未成年者であり、被上告人の母節子が親権者であった。
3 節子は、被上告人の親権者として、上告人に対し、昭和五八年一〇月三一日、被上告人の所有する本件土地につき、上告人が株式会社日昇(泰四郎が代表者として経営する会社、以下「日昇」という。)に対して保証委託取引に基づき取得する債権を担保するため、債権極度額八四〇〇万円を最高限度とする根抵当権を設定することを承諾した。そして、節子は、泰四郎に対し、節子を代行して、右合意につき契約書を作成すること及び登記手続をすることを許容していたところ、泰四郎は、節子を代行して、債権極度額を三〇〇〇万円とする同年一一月九日付け根抵当権設定契約証書(<書証番号略>)を作成した上、根抵当権設定登記手続をした。
4 節子は、被上告人の親権者として、上告人に対し、昭和五九年二月二二日、右根抵当権の債権極度額を三〇〇〇万円から四五〇〇万円に変更することを承諾した。そして、泰四郎は、3と同様に節子を代行して、債権極度額を三〇〇〇万円から四五〇〇万円に変更する旨の同月二五日付け根抵当権変更契約証書(<書証番号略>)を作成した上、右根抵当権変更の付記登記手続をした。
5 日昇は、株式会社南都銀行(以下「南都銀行」という。)から、昭和五八年一一月一一日に二五〇〇万円を、同五九年二月二五日に一五〇〇万円を借り受けたが、その使途は日昇の事業資金であって、被上告人の生活資金、事業資金その他被上告人の利益のために使用されるものではなかった。また、被上告人と日昇との間には格別の利害関係はなかった。
6 上告人は、5の日昇の各借受けにつき、日昇との間で信用保証委託契約を結び、南都銀行に対し、日昇の右各借受金債務を保証する旨約した。
7 上告人は、3の根抵当権設定契約及び4の極度額変更契約(以下両契約をまとめて「本件各契約」という。)の締結に際し、5の事実を知っていた。
二 原審は、右事実関係の下において、節子が被上告人の親権者として本件各契約を締結した行為は、専ら第三者である日昇の利益を図るものであって、親権の濫用に当たるところ、上告人は、本件各契約の締結に際し、右濫用の事実を知っていたのであるから、民法九三条ただし書の規定を類推適用して、被上告人には本件各契約の効果は及ばないと判断して、被上告人の請求を理由があるとした。
三 しかし、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 親権者は、原則として、子の財産上の地位に変動を及ぼす一切の法律行為につき子を代理する権限を有する(民法八二四条)ところ、親権者が右権限を濫用して法律行為をした場合において、その行為の相手方が右濫用の事実を知り又は知り得べかりしときは、民法九三条ただし書の規定を類推適用して、その行為の効果は子には及ばないと解するのが相当である(最高裁昭和三九年(オ)第一〇二五号同四二年四月二〇日第一小法廷判決・民集二一巻三号六九七頁参照)。
2 しかし、親権者が子を代理してする法律行為は、親権者と子との利益相反行為に当たらない限り、それをするか否かは子のために親権を行使する親権者が子をめぐる諸般の事情を考慮してする広範な裁量にゆだねられているものとみるべきである。そして、親権者が子を代理して子の所有する不動産を第三者の債務の担保に供する行為は、利益相反行為に当たらないものであるから、それが子の利益を無視して自己又は第三者の利益を図ることのみを目的としてされるなど、親権者に子を代理する権限を授与した法の趣旨に著しく反すると認められる特段の事情が存しない限り、親権者による代理権の濫用に当たると解することはできないものというべきである。したがって、親権者が子を代理して子の所有する不動産を第三者の債務の担保に供する行為について、それが子自身に経済的利益をもたらすものでないことから直ちに第三者の利益のみを図るものとして親権者による代理権の濫用に当たると解するのは相当でない。
3 そうすると、前記一1の事実の存する本件において、右特段の事情の存在について検討することなく、同一5の事実のみから、節子が被上告人の親権者として本件各契約を締結した行為を代理権の濫用に当たるとした原審の判断には、民法八二四条の解釈適用を誤った違法があるものというべきであり、右違法が判決に影響することは明らかである。
四 以上の次第で、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、右の点について更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)
上告代理人高島三蔵、同稲田克巳、同吉井洋一の上告理由
原判決は、未成年者を無能力者とし未成年の子の財産に関する法律行為に関しては親権者に法定代理権を与えてその処分を委ねるものとしている民法第四条・民法第八二四条の解釈適用を誤り、あるいは右法律に関するこれまでの大審院判例に明らかに反するものであるから、その破毀を免れずまたその理由に齟齬あるか、理由の違法あるものとして破毀されるべきである。
一 原判決は、親権者の法定代理権について「親権者がなす財産に関する法律行為については、その制度、目的からして、当然に、その子自身の利益のためなされるべきことを要し、親権者自身又は第三者の利益のためになすが如きは、親権の濫用に該当し、許されないものというべきである。」と説示した。上告人としても親権者の法定代理権が親権の濫用に該当するような場合、その法律行為が無効となることについて異議をさしはさむものではない。しかしながらどのような法律行為が親権の濫用に該当するか否かについては、極めて慎重に判断しなければならないはずである。なぜなら、ある法律行為が安易に親権の濫用に該当するとされるならば、未成年者を無能力者とし、その子の財産に関する法律行為を親権者に委ねている法に従って、これと取引をした第三者に不測の損害を被らせることになるからである。
二 この点について、原判決も第三者に不測の損害ある場合を認め、そのような場合には民法第九三条但書を類推適用すればよい、との説示をして未成年者の利益と第三者の利益との一応の衡平を図っているかのように判示する。しかしながら右判示は一見未成年者と第三者の利益の衡平を図っているかのように見せながら、実質的には第三者の利益を全く考慮していない。なぜなら、原判決は、民法第九三条但書の類推適用について、「その取引の相手方において、親権者が自己又は第三者の利益を図る目的で代理行為を行うとの親権者の意図を知り又は知りうべかりし場合に限り、右代理行為は無効であって、」とし、これを本件にそのまま適用して、本件事案にあっては、親権者が未成年者の不動産を第三者の為に担保に供した場合であり、上告人は右事実を知っていたのであるから無効であると判示するからである。このことは原判決が、本件の具体的な事実に対し適用した判断と言うにとどまるものではなく、要するに未成年者が第三者の為に担保提供すること自体が無効であると判示しているに等しい。物上保証にあっては、貸付側が第三者の為にすることを知っていることが通例なのだから。
三 原判決は、大審院明治三〇年一〇月七日の、後見人が他人の為に被後見人の財産を担保に供する行為は当然に無効であるとする判例を引用して、その正当性を結論づけようとしている。しかし原判決も、さすがに右大審院判決のなされた明治三〇年頃のいわゆる金融取引の状況と現在における金融取引の状況との差異等を意識してか、右大審院判例をそのまま引かず、民法第九三条但書の類推適用という方法で第三者の利益(言い換えれば取引の安全)という側面からの批判を避けようとしたものであろうか。しかし結局は前項に述べた通り実質的には第三者の利益を何ら考慮する余地のない判断となっているのであって右大審院判決をそのまま本件に適用したにすぎないのである。
四 大審院明治三〇年一〇月七日判決については、原判決もこれをそのまま本件に引用することは妥当でないと判断しているように(原判決が結果的には右大審院判決をそのまま適用したことになることについて前項の通り)、右大審院判決は後見人に関する判例であって、後見人の場合は、親権者の場合のように必ずしも血縁的愛情による保証がないので、法の上でもより厳格な義務や制限が加えられている趣旨に照らすならば、本件における親権者としての法律行為に関する事案に関しては明らかにその射程距離外にあるというべきであるし、仮に譲って右大審院判例が親権者の法律行為にもそのまま適用されるものであるとするならば、明治時代における金融取引と現在におけるそれとの間には量的にも質的にも格段の差があるのであり、当然変更されてしかるべきである。
五 後見人の法律行為に関する制限についての判例は、例えば大審院判例昭和七年八月九日判決が、「後見人の資格でなされた取引による債務は、たとえ後見人が自己の用途に費消しようとしても特殊な事由のない限り、被後見人はその責めを免れない。」との趣旨の判示並びに大審院判例昭和一五年一二月二四日判決が、「後見人がその資格を濫用し被後見人の為にする意志なくしてした行為は無効であるが、そうであるかどうかは周囲の事情等諸般の状況を調査考慮の上判定すべきである」との趣旨の判示をして、いずれも後見人の場合にあっても、取引の安全を考慮しながら慎重な判断のなされていることに特に留意されるべきである。
六 原判決は、民法第九三条但書を類推適用して、一見、第三者の利益すなわち取引の安全に配慮したかの如き判断をしながら、実質的には、原判決に引用した大審院明治三〇年一〇月七日判決をそのまま適用しているのである。すなわち本件の場合のように親権者が未成年者の財産を第三者の為に担保に供する法律行為は、第二項に記述した通りいかなる場合にも全て当然に無効であるという判断である。今日の活発な金融取引においては本件の如き取引は相当数にのぼるはずであり、このような場合、たとえ未成年者自身が何らかの利害関係により第三者の為に自己の財産を担保に供する意思を有したとしても、右担保提供は全くなし得ない。未成年者は無能力者であるから担保提供という法律行為はなし得ず、その法定代理人親権者は原判決に従うならば、第三者に対する担保提供そのものが親権の濫用になるから当然無効となる。法は親権者と未成年者の間に利益相反行為があるならば、民法第八二六条により特別代理人を設けて未成年者の財産処分行為を可能ならしめる手当をしているけれども、本件の如き場合には、法はそのような手当もしておらず、結局いかなる方法によるも担保提供自体が不可能となるのである。
七 既述した通り、原判決は、親権者が上告人に対し未成年者たる被上告人の土地を訴外日昇に担保提供をなした法律行為を、第三者の為にする担保提供であるから親権の濫用となると判示しているのであるが、ここで留意すべきは原判決が民法第九三条但書の類推適用にあたり、本件取引が未成年者である被上告人の土地を第三者である訴外日昇の為に担保を供する法律行為であるとの事実認定のほか、「訴外泰四郎の右訴外日昇名義での訴外銀行からの借入の真の意図は、訴外泰四郎の同級生訴外中島勉が経営し、かつ、訴外日昇がその下請の関係にあった訴外株式会社大東建設(以下、「大東建設」という。)の運転資金に充てるためであり、かつ、これが実施した場合には、右大東建設から訴外日昇ないしは同泰四郎においてその謝礼を得ることを目的とするにあったもので、現に、訴外泰四郎は、本件土地を被控訴人に担保に供することによって訴外日昇が訴外銀行から借り入れ、訴外大東建設に融通した合計四〇〇〇万円に関し、同社から額面一〇〇〇万円の約束手形をその謝礼として受領し、これを割り引いて換金しているものであること。」との事実認定をわざわざ判示していることである。右のような事実を何故に原判決は判示したのであろうか。上告人は公的な金融機関としてかかる借入申込が判っていたならば絶対にその取引に応じるはずはなく、借入申込人である訴外日昇に必要な運転資金であることを信じて本件取引を行ったのである。第一審及び第二審における各証拠を仔細に検討しても、原判決が認定している本件借入における訴外日昇の真の意図を、上告人が知り又は知りうべかりし場合であったなどとの事実は絶対に認定できるものではない。原判決は右認定事実に続いて「そして、右の訴外泰四郎の意図はともかくとして……」と判示して右意図につき、上告人がそれを知り又は知りうべき場合であったか否かの認定をあえて避けている。原判決は、民法第九三条但書の適用を説示して、右訴外泰四郎の意図をわざわざ判示しながら、右意図を上告人が知り又は知りうべき場合であったか否かについて判断しないまま結論を導いているのである。
八 本件においては、親権者節子が未成年者である被上告人の土地を訴外日昇の為に担保に供した事実、訴外日昇の代表者泰四郎は被上告人の伯父にあたること、同人には訴外節子及び被上告人において、同人らの夫であり父であった成晃の死亡に伴う相続に関する手続等を始めとして、何くれとなく世話になっていたこと等の利害関係を有する事実上告人はこれらの事情のみを認識していた事実、以上の証拠上認定し得る事実のみにおいて、訴外節子の本件法律行為がいわゆる親権の濫用に該当するか否かにつき、慎重な判断がなされてしかるべきなのである。
九 親権の濫用について、大審院判例明治三五年二月二四日判決は、親権者の行為が親権濫用であることを相手方が知っている時、ことにその濫用に加功した時はその行為は親権者と相手方との直接関係であり、子にその効力は及ばないとする。しかし右判決は、親権者が自己の為に未成年の子の名をもって莫大な債務を負担した場合における判断であって、このような場合には未成年者は右債務を免れるために相続放棄もできず、又限定承認もできないのであるから、一生その債務弁済をしなければならないことになり正に親権の濫用として処理されなければならない事案である。逆に言うならば、法定代理人親権者の行為が親権の濫用として無効であるためには、未成年者を無能力者とし、その財産処分行為を法定代理人親権者に与えている法の趣旨から考えても、右事案のように、極めて未成年者にとって苛酷となるが如き法定代理人親権者の法律行為に限定されてしかるべきものであり、本件のように単に第三者の為に(それも単なる第三者ではなくその代表者は被上告人にとって伯父の立場にあり、又相続に関する手続を始めとして何くれと世話になっていたという利害関係にある)未成年者の土地を担保に供する親権者の法律行為までも、一律に親権の濫用であるとするならばこれと取引関係に入った第三者は全く保護されることがなく、第三者の利益すなわち取引の安全は完全に阻害されることとなる。
以上主張したように今日の活発な金融取引がなされている現況にあって、本件のように未成年者の不動産を第三者の為に供する事例は数多く存在するはずであるし、又、そのような取引が必要となる場合も極めて多いと考えられる状況下にあって、原判決は、右のような未成年者の第三者に対する担保提供を法の手当も存在しないままに一律に否定するものであり、それ故に、原判決は法の解釈を誤り、大審院判例にも違反するものであるほか、その理由に齟齬あるか、理由不備の違法あるものとしてその破毀を免れない。